iso

 

いそVD工房について

PAVO-KY Introductionページの画像の正体は「写真植字機の文字盤」というものです。いまだに捨てられずに保存してあったものをスマホで撮影したものです。書体は写研の創業者石井茂吉氏が最初に製作した「石井中明朝体(MM-OKL)」です。私が若かりし頃、雑誌や書籍のレイアウトデザインをやっていた当時はこのMM-OKLを本文書体に指定するのがスタンダードでした。今見てもMMOKL流麗で美しい書体だと思います。ちなみに日本で写真植字機を創ったのが石井茂吉氏と森澤信夫氏によるもので、「写真植字研究所」で主に文字盤を製作したのが石井氏、機械の設計に携わったのが森澤氏でした。戦前の事です。その後、石井氏と森澤氏はそれぞれ写研とモリサワという二大企業に分かれ、両社が国内の業界を牽引していった訳です。現在ではクローズ策をとった写研は一時期の勢いを失い、オープン策をとったモリサワがスマホの画面表示でも使われるフォントとして広く知れ渡るところとなりましたが、両社とも我が国の文字印刷文化に多大な貢献をしてきた事は間違いありません。

 いそVD工房は「いそビジュアルデザイン工房」の略称です。開業は1987年7月で、主にプリプレス(印刷の前工程)のデザイン及び製品化を業務としてきました。
 開業当時はまだSOHO(small office home office)という呼称はありませんでしたが、創業者1人で長年にわたり自宅兼仕事場の形でやってきました。およそ30年間のプリプレス分野の変化は目まぐるしく、特にコンピューターの進化に大きく影響されてきました。1987年当時のパソコンはまだ黎明期にあり、私が初めて購入したパソコンはNEC(日本電気)のPC-9801VM2という純国産CPUを搭載したものでした。記憶装置としてはまだハードディスクは高価なもので内蔵されていませんでした。5インチフロッピーディスクドライブ2基が標準装備で、外付けドライブで8インチ(直径約20センチ)フロッピーディスクドライブも電算写植システムへのデータ渡しの為に接続していました。
 創業時の設備としては手動写真植字機がメインで、製版カメラや自動現像機などが付帯設備でした。このころはまだ写植の需要が主流で、主に印刷会社からの受注を毎日どっさり頂き、朝から晩まで納期の催促に追われていました。パソコンはまだテキストデータを扱うのみで、売上・仕入れ・出納などの事務処理中心のものでした。
 そのころプリプレス業界では写植のデジタル化である電算写植からアメリカから始まったDTPというものが次第に日本でも広がりはじめました。パソコンの方も日進月歩で進化していき、処理能力の向上によりテキストのみならずグラフィックも扱えるようになっていきました。当方でもこれからはDTP(Desktop prepress)が主流になると感じ、パソコンによるDTPを研究するようになりました。まずは日本語化されたPageMakerを使ってみましたが、複雑な日本語組み版にはまだまだ対応ができていないので諦め、国内メーカーが開発したDTPソフトを探すことになりました。
 まず最初に出会ったのが今はなき株式会社ツァイト(Zeit)のZ's WORD JG、通称「JG」。グラフィック機能を搭載したワープロソフトであり、国産ソフトとしては初めてアウトラインフォント機能を搭載し、ポストスクリプトに対応していたことから、DTPソフトとしても使われたものでした。なかなかの機能でしたが、組み版ソフトとしては不足するところがあり、また会社が倒産したため開発も終わってしまいました。
 次に手にしたのが一太郎やATOKで有名な株式会社ジャストシステムが開発した「大地Ⅱ」でした。WYSIWYGの編集環境で組版を行い、本格的な日本語組み版が可能でしたが、Windowsで動作するものでしたので、当時の日本の出版業界で「マックで組む」ということが「QuarkXPress 3.3Jで組む」ことを意味していたほどアップルのMacintoshが主流になっていたので業界に普及することはありませんでした。
 そして次に使い始めたのがニッシャインターシステムズ社のWindows版DTP組版ソフト「UrbanPress」です。UrbanPressの開発元であるニッシャインターシステムズは日本写真印刷の子会社で、このソフトには同社が培ってきた印刷技術のノウハウが凝縮されたもUrbanPressのでした。日本語組版機能の高さや縦組も含めたTrueTypeフォント出力での安定度など、印刷会社・出力センターでの評価も非常に高かったものです。マッキントッシュが主流だったDTPの世界にWindowsによる本格的DTPソフトとして出てきた価値は大きいものでした。UrbanPressの特徴を一言で言えば、基本性能の高さと付加機能の豊富さということでしょう。基本性能とは日本語組版機能のことで、付加機能とは、普通なら別のソフトやエクステンションが必要な機能を標準で装備していることです。多面付出力、4色分版、日本仕様の高度な表組み機能、ベジェ曲線描画機能、2万字のユニコード外字漢字フォント搭載、数式、飾り罫などがそれです。また、イラストレーターとの連携で重宝する機能として、UrbanPressの画面で表示しているそのままをEPSファイルに書き出せることがあります。このEPSファイルをイラストレーターで開けば、フォントは全てアウトライン化されていますので、完全に画面イメージそのままに再現されることです。イラストレーターが苦手な複雑な表組みなどのパーツ作製に抜群の威力を発揮しました。しかし残念ながら2000年に開発・販売が終了となってしまいました。そのほかEdicolorやInDesignなどもWindows版DTPソフトとして発売され、併用するようになりました。
 そのUrbanPressですが、当方、実は現在でも現役で使い続けているのです。今から20年ほど前のソフトながら、なんとWindows10でも正常に動作するばかりでなく、動作が軽快で編集作業がストレスなく行えることが何より有り難いものです。このような優秀なソフトが育っていかなかったというのは非常に残念なことだと思います。
 UrbanPressをメインに使っていた当時は、すでに手動写植機の時代は終わっており、新しい設備としてイメージセッターを導入していました。機種はLinotronic Mark30というもので、出力コントロールはMacintosh搭載のRIP(ラスターイメージプロセッサー)から行うものでしたが、このMacintoshとWindowsパソコンを特殊なLanで結び、Windowsアプリケーションからも高解像度フィルム出力をするというシステムを独自に構築しました。自分のところの出力だけではもったいないので、ネットで出力依頼の注文を請け、出来上がったフィルムや印画紙を宅急便で発送するという仕事もはじめました。この頃、Windowsからのイメージセッター出力というものが時代的に珍しかったようで、プリプレス業界新聞やデザインとグラフィックの総合情報誌「月刊MdN」などから取材を受け記事が掲載されたこともありました。
 しかし、これも10年ほど続けた段階でイメージセッターの役割も次第に減っていき、印刷技術はさらにデジタル化が進み、印画紙やフィルムという中間媒体を省き、データから直接刷版へ焼き付けるようになっていったのです。イメージセッターという機械自体はまだ動いていたのですが、装填するフィルムなどの感材をメーカーが製造しなくなってしまったので、仕方なく出力サービスを終了することになりました。
 その後はデータ作製サービスのみとなり、現在に至っています。最も使っているのはやはりIllustratorとPhotoshopです。
 さて、長々と当方の開業当初からの移り変わりを主にデジタル化の歩みを中心に綴ってきましたが、変わらずに続いているのが日本語プリプレスという仕事に関わってきたということです。いそVD工房として独立開業する前はグラフィックデザイナーで、主に雑誌のレイアウトデザインをやっていました。そのころは東京都内のデザイン事務所に勤めていましたが、家の事情で帰郷することになりました。地方ではデザインのみでやっていくことは難しいと判断し、まずは「写植屋」から始めることになりました。写植機は出身大学(東京造形大学)の設備としてあったので学生の頃から操作を覚えたものでした。写研のSK-3RYという機械で卒業制作を作ったものでした。
 今はほとんどIllustratorでのデータ制作を軽い仕事のみ請け負っています。もうご隠居(68歳)という年齢となりましたが、お陰様で身体も健康で、また組版技術も健在なので無理のない程度に仕事を頂いております。
 大量のページ組み版で納期が厳しいものなどはお請け出来ないでしょうが、端物は得意ですので、Illustratorでのデータ納品でよろしければお請けできます。

いそVD工房  磯 史郎  
inserted by FC2 system