my_favorite

 

私のお気に入り 《5》

 ここからはMonaLisa Twinsに限らず、紹介したいアーティストについても掲載していこうと思います。多分、1960年~1980年代が中心となり、必然的にMonaLisa Twinsとも関わってくると思います。
 ザ・ローリング・ストーンズ = The Rolling Stonesが1966年にリリースした曲である"Paint It Black"は邦題が「黒く塗れ」でした。stones作詞・作曲はミック・ジャガー&キース・リチャーズです。ビートルズとはデビュー当時から親交があり、ストーンズの2曲めのシングルである"アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン = I Wanna Be Your Man"はジョン・レノン&ポール・マッカートニーの作詞・作曲により提供されたものです。当時、ジョンとポールの2人は「君たち向きかもしれない」と言って、まだ未完成の曲をミック達にざっと弾いて聴かせ、ジョンとポールは部屋の隅へ行き、曲を仕上げました。この様子を見ていたミック・ジャガーとキース・リチャーズは、ビートルズの作曲能力に大変な感銘を受けたそうです。ミックは「ポールとジョンの曲づくりは見事だった。かなり売れ線の曲だったし、2人が一番良い曲のひとつを俺たちに快くくれたことに驚いた。」と当時のことを語っています。

Paint It Black(The Rolling Stones Cover)

 

 

 1960~80年代の洋楽は今思えばキラメクような名曲・名演奏が数多く生まれた時代だったと思います。当時の日本で洋楽の最新情報を得られるメディアといえばテレビとラジオでしたが、テレビでは土曜の午後に放送された「ビートポップス」という番組がありました。今は亡き大橋巨泉さんが司会を務め、私も毎月のように購読していた「Music Life」編集長の星加ルミ子氏、「Teen Beat」編集長の音楽評論家の木崎義二氏がミュージシャンや曲の紹介をしていました。勿論ビートルズの最新映像なども流されたので夢中になって見ていました。その頃はまだ家庭用ビデオなどは無かったので集中して自らの頭の中に記録するだけでした。そんな「ビートポップス」でもboots紹介されたのがナンシー・シナトラの邦題「にくい貴方 = These Boots Are Made for Walkin'」であり1966年にビルボード1位にランクされたヒット曲です。ナンシー・シナトラはアメリカを代表する歌手であるフランク・シナトラの長女です。父親ゆずりの歌唱力で数々のヒット曲を送り出しました。有名なところでは映画「007は二度死ぬ」のテーマ曲である"You only live twice"を歌っています。MonaLisa Twinsのカバーはリバプールのキャバーンクラブでのライブ演奏です。観客も一緒に歌って踊ってのノリノリです。

These Boots Are Made for Walkin'(Nancy Sinatra Cover)(Live at the Cavern Club)

 

 

 イギリスBBCのラジオ・DJであるビリー・バトラーの番組に出演した時のライブ演奏です。エバリー・ブラザーズの"Wake Up Little susieSusie"をウッドベースとダンボール箱のパーカッションのサポートでモナ&リザがギターを軽快に弾きながら歌っています。とても上手いですね。迫力さえあります。

Wake Up Little Susie(The Everly Brothers Cover)@ BBC Merseyside w/ Billy Butler

 

 

 同じくビリー・バトラーの番組からもう一曲。イギリスの男性デュオ、チャド&ジェレミーが1964年にリリースした"Yesterday's yesterday_goneGone"です。原曲はどちらかというとナヨナヨしたソフトロックなのですが、Twinsが演奏すると元気いっぱいのロックンロールになってしまいます。

Yesterday's Gone(Chad & Jeremy Cover) @ BBC Merseyside w/ Billy Butler

 

 

 ボブ・ディランが1973年にリリースした邦題「天国への扉 = (Knockin' on Heaven's Door」をファーストライブから。ミカエラおknocking母さんのサックスがいい雰囲気を醸し出しています。

Knocking On Heaven's Door(Bob Dylan Cover)

 

 

 ここで突然ですが、1979年リリースのブロンディ = Blondieの"Atomic"を紹介させて下さい。何故かというとMonaLisa Twinsのインスタグラムでブロンディのシンガーであるデボラ・ハリーとモナ&リザが3ショットで映っている写真が公開されていたからです。deboraBlondieはアメリカ出身のバンドで、ニューヨーク・パンクの次に現れた「ニュー・ウェーブ」を代表するバンドで、CBGBなどの有名なクラブに出演することで人気が出てきました。同じ頃、ニュー・ウェーブの先鋭として注目されていたのがトーキング・ヘッズ = Talking Headsでした。ブロンディは1978年に初来日コンサートを中野サンプラザで行ったのですが、あいにく日本では無名に等しかった為、客席はガラガラだったそうです。しかし、当時の私の女友達がそのコンサートに行き、デボラ・ハリーがいかに素晴らしかったかを熱を込めて語ってくれたので、私もブロンディを聴くようになりました。インスタグラムでのデビーはさすがにおばあちゃんになっていましたが、それもそのはず、私もおじいちゃんになってしまった訳ですから時の流れで仕方ありません。"Atomic"のblondie作詞・作曲はブロンディのキーボードプレイヤーであるジミー・デストリィとシンガーのデボラ(デビー)・ハリーによるものです。ニューウェーブ・ロックとディスコビートの融合という画期的なことをやったのはプロデューサーのマイク・チャップマンでした。私の記憶に残っているのは新宿のディスコでこの曲が大音量で流れているのを聞いたとき、それまでのディスコミュージックとは明らかに異なる、ロックの流れから生まれた鮮烈なブロンディのサウンドに何か誇らしような感情を持ったものでした。

Blondie"Atomic"(Official Video)

 

 

 ブロンディ登場となると、CBGB出身の同期であるTalking Heads = ト-キング・ヘッズを紹介せねばなりません。1970年代の中頃から活動を始めたバンドですが、初期メンバーの3人は名門美術大学に在学中に学生バンドとしてデビューしました。デビット・ヴァーン(ギター&ボーカル)、クリス・フランツ(ドラムス)、ティナ・ウェィマウス(ベース)の3人です。(クリスとティナは夫婦です。リズムセクションが夫婦というのは最強でしょう。)その後、ハーバード大学出身のジェリー・ハリスン(キーボード&ギター)がheads加入し、4人編成のバンドとなりました。この頃のアーティストの経歴を見てみると、美術系から音楽系へと転換していった傾向が顕著に見られます。まず古いところではジョン・レノンが、リヴァプール・カレッジ・オブ・アートという美術学校に進学しており、絵画やリトグラフの作品が数多く残されています。そしてト-キング・ヘッズのアルバム・プロデューサーとして3枚のアルバムに関わったブライアン・イーノもイギリス、ウィンチェスター美術学校に在学中から電子楽器や音声理論に興味を持ち、友人のアンディ・マッケイの紹介によりロキシー・ミュージックのメンバーとなりデビューアルバムと2枚目のアルバム制作に関わることになります。また、そのロキシー・ミュージックのリーダーであるブライアン・フェリーもニューカッスル大学でポップアートの先駆的存在とされるリチャード・ハミルトンのもとで美術を学び美術教師として勤めていました。また日本でも松任谷由実(荒井由実)氏が多摩美術大学絵画科出身、石井竜也氏が文化学院美術科(油絵専攻)というように美術から音楽へという流れは自然なものだと思われます。
 さてト-キング・ヘッズの曲を紹介するにあたって、非常に迷いますがブライアン・イーノがプロデュースするようになった1978年発表の"More Songs About Buildings and Food"から最初の曲を選びました。冒頭の潔いギターのリズムには背筋がゾクゾクするような緊張を覚えます。

Talking Heads - Thank You For Sending Me An Angel

 

 

 そしてもう一曲は1979年発表のアルバム"Fear Of Music"に収められた"Life During Wartime"をジョナサン・デミ監督によるドキュstopメンタリー映画である"Stop making sense"のライブから選びました。オリジナル・メンバーの4人に加え豪華なサポートミュージシャンが参加しています。デビッド・バーンのパフォーマンスがもの凄いことになっています。

Talking Heads Life during wartime LIVE Stop making sense 1984

 

 

 Talking Headsが出たところでブライアン・イーノについて紹介させていただきます。実はBrian EnoオンリーでMy Favoriteのページを作ろうと思っていたほど、私が大好きなアーティストです。イーノは1948年生まれですから今年で71歳を迎えました。イーノを初めて知ったのは、大学2年の頃でしたが、当時私は米軍横田基地に隣接する「ハウス」と呼ばれた米軍関係者向けの1戸建ての家に友人3人と今で言う「シェアハウス」をして住んでいたのですが、ある日、同居していた友人が1枚のLPレコードを買ってきました。イギリfbスの輸入盤で日本語解説などはないのですが、"Fripp & Eno"というタイトルでガラス張りの部屋でカードをやっている写真がジャケットになっているものでした。友人はキング・クリムゾンのファンだったので、そのリーダーであるロバート・フィリップが作っているものだということで買ってみたそうなのでした。聴いてみるとギターとシンセサイザー、テープ編集による演奏が長々と繰り広げられる実験音楽と言えるものでした。とても一般受けにほほど遠いものでしたが、このようなものを作ってしまうEnoという人物に興味を持ちました。その頃はまだ情報が乏しくて友人は「エノ」と読んでいました。今のようにネットで何でも調べられる時代ではなく、情報源はロック関係の雑誌やラジオの音楽番組くらいでしたから仕方ありません。
 横道にそれますが、当時住んでいたジャパマー・ハイツという「ハウス」が並んでいた地域にはミュージシャンや美術系のアーティストが沢山住んでいて今は亡き大滝詠一さんもすぐ近くに住んでいて、よく散歩している姿を見かけました。また村上龍氏のデビュー作である小説「限りなく透明に近いブルー」はこのジャパマー・ハイツをモデルにして書かれたものでした。東京都ではありますが、都心からは遠く離れ、中央線の立川から青梅線に乗り換え、福生駅で降り、バスに乗ってという不便な所でしたが、私は"N360"というホンダが初めて作った軽自動車に乗って大学まで通っていました。現在ホンダが発売している"N-ONE"の元になったモデルです。何年か前にその友人から電話があり、大滝さんの奥さんからの依頼で大滝さんの遺品から工芸関係の仕事を受けているとの事でした。
 さて本題のブライアン・イーノの音楽ですが、イーノ本人は自らを「ノン・ミュージシャン」と言っております。音楽家ではなくアーティストですね。ロキシー・ミュージックに在籍していたころは、カラスの羽根を飾った奇抜な衣装を着たり、ぶっとんだようなシンセenoサイザーの操り方をしたりと、ロキシーの2枚のアルバムにはここがイーノだと言える特徴的なサウンドやバックボーカルが残されています。ロキシー・ミュージック脱退後は自らのソロアルバムやロバート・フィリップをはじめとする先進的なアーティストとのコラボレーションを展開していくのですが、特筆すべきは「アンビエント・ミュージック(環境音楽)」というものを初めて世界に送り出したアーティストとしての活動です。最初に発表した"Music for Airports"はそれまでにない画期的な心を落ち着かせる音の流れを持ったものでした。また、イーノで知られているのはデビット・ボウイのベルリン三部作の制作に参加したことでしょう。このあたりからプロデューサーとしての活動もしていきます。ボウイは惜しくも2016年に69歳でガンで亡くなってしまいましたが、私の大好きなミュージシャンの一人ですので、後ほどまとめて紹介したいと思います。
 長くなってしまいましたが、ブライン・イーノの曲として紹介するのはイーノが28年ぶりにボーカルアルバムを2005年にリリースした"ANOTHER DAY ON EARTH"からとても美しい曲"How Many Worlds"です。お気づきでしょうか? このサイトのトップページでanother_day流れるバックグランウンド・ミュージックは同じアルバムに収録されている"And Then So Clear"です。イーノの声はデジタルで変調されているのでファルセットのような歌声になっていますが、もう美意識のレベルがとても高い所にあるのが伺える曲だと思います。"How Many Worlds"はぜひヘッド・フォンやイヤホンなど、細かい音まで聞こえる環境で聴いてみて下さい。背筋がゾクッとするような美しさを味わえるでしょう。

How Many Worlds - Brian Eno

 

 

 ブライアン・イーノの盟友であるロバート・フィリップは1946年生まれの現在73歳のアーティストです。イギリスで生まれたプログレッシブ・ロックの先駆的グループであるキング・クリムゾンのギタリスト兼リーダーとして知られています。キング・クリムゾンのファーストアルバムである『クリムゾン・キングの宮殿』は「1969年に、ビートルズの『アビイ・ロード』を1位から転落させたアルバム」といった世代交代的意味合いをマスコミが報じたものでした。私も熱烈なビートルズファンでしたが、キング・クリムゾンのファーストを聴いた時は確かに新しい時代の到来を実感したものでした。特に衝撃的だったのはアルバムの最初の曲である"21st Century Schizoid Man including Mirrors"です。その圧倒的で精緻な演奏技術と音楽構成はそれまでのロックミュージックには無い高度なものでした。キング・クリムゾンは1968年の結成から50年以上にわたり多くのミュージシャンが加入と脱退を繰り返しています。例えば初期メンバーのボーカリスト兼ベーシストのグレグ・レイクは後にエマーソン・レイク&パーマーというスーパーグループを結成し、クラシック音楽をシンセサイザーとベース&ドラムスで即興演奏するというスタイルを確立し人気を博しました。またロバート・フィリップはイギリスのみならずアメリカのミュージシャンともコラボがあり、ブロンディのレコーディングでも独特なギター奏法で参加しています。(うわさによりますと、ロバート・フィリップはブロンディのデボラ・ハリーにぞっこんでプロポーズまでしたらしいですが、デビーにはブロンディーのリーダーであるクリス・ステインという伴侶がおりましたので残念ながら……。)
 1972年のリリース「21世紀の精神異常者 = 21st Century Schizoid Man」をどうぞ。

King Crimson - 21st Century Schizoid Man

 

 

 そして同じ曲を2015年の来日コンサートで演奏したビデオです。上段右端に鎮座してギターを弾くのがロバート・フィリップ翁です。

King Crimson - 21st Century Schizoid Man(Live in Japan December 2015)

 

 

 最期にモナリザ・ツインズに戻りまして最新ビデオから。オープニングはルドルフお父さんのピアノ演奏から始まりますが、彼女たちは"Papa Rudi"とお父さんのことを呼んでいるのですね。ルディはルドルフの愛称のようです。最新アルバムである"ORANGE"に収録されているオリジナル曲です。曲の途中から弦楽三重奏による伴奏が入るというこれまでにない新鮮なスタイルです。

Still A Friend Of Mine - MonaLisa Twins (Original)

 

 

My Favorite 6 へ続きます。

 

 

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